どうやったら短編小説を読んでもらえるのか【2022.12.17】

小説って何をもって「完成」とするかって言われたら、多分「読者に読んでもらったとき」なんよな。誰にも読んでもらえてない小説は、小説と呼べない気がする。いや、別に読まれてなくても小説は小説やし、執筆者が「これは小説です!」って主張したらそれでもう小説なんやろうけどもね。でも、なんていうか、小説に「小説」としての意味を持たせるためには、誰かに読んでもらう必要があるんじゃないかな、って最近は思うわけよ。

弱小創作者、ワイ。もちろん色々今までチャレンジしてまいりましたとも。

Twitterでさ、たまにある「小説読みます、リプライで教えてください、感想書きます」みたいなツイートにぶら下げてみたり。こっちから色んな人を先行フォローして、読者になる可能性のある分母を増やそうとしてみたり。自分のアカウントで宣伝してみたり。宣伝の方法も、あらすじを書いてリンクをつけてみたり、冒頭部分を画像にして添付してみたり、PVみたいなものを作ってみたり、色々しましたわ。

でもね、まあ正直なところ、ほとんど読まれないね。

そらそうだよ。だってみんな興味ねえもん。私の作品に、興味ある人なんてほとんどいないんだから。みんな忙しいのよ。自分の興味あるもんを消費するので精一杯よ。新しいのを開拓したい人なんて、もうほとんど残って無いんだから。

だからね、小説を読んでもらうのに必要な条件は、ただ単に「小説が上手い」だけじゃもう駄目なんだよね。「宣伝が上手い」だけでももう駄目になってきてると思う。

ここから性格の悪い話をしますので、不快に思う可能性のある人はブラウザバックしてね。ほんと、個人の意見だし、ただの僻みですから。

もうね、小説を読んでもらうのに必要な条件はただ一つ。「知名度」ですよ。もうこれだけ。知ってる人の小説は、多分みんな読む。だって、興味あるから。

最近さ、YouTuberとか、アイドルとか、芸人さんとかがめちゃくちゃ本出してるじゃない。それって多分、売れるんだと思う。だってみんな、「その人」が好きだから。小説は、小説じゃなくて、グッズと化してるわけよ。

「違う、グッズとして買ってるんじゃない、面白いから買ってるんだ」っていう人もそれはいると思う。現に私、ずっと偏見で読んでなかったNEWSのシゲちゃんの本、馬鹿みたいにハマったからね。本当に面白いのは知ってんのよ。

でも、やっぱネームバリューってもんはあるよね。私も、もし「傘をもたない蟻たちは」を加藤シゲアキ氏が書いてなかったら、手に取らんかったもん。そのさ、「手に取る・取らない」の第一歩のハードルが、無名人間と芸能人じゃ全然違うもんね。

だから、小説を読んでもらうためにはやっぱり、私という人間が人気にならないといけない。そうでないと、もう手にも取ってもらえない。悔しいよ、私は。もちろん、私の小説が手に取る価値があるほど面白いかって聞かれたら、ちょっと答えに詰まるけど。私は面白いと思って書いてるけど、他の人からしたらそうじゃないんだよ。だから伸びてないんだけど。

でも、言い方は悪いけど、やっぱりネームバリューバフがある人が羨ましいなって思っちゃうわけ。どんなに内容が分からなくても、書いてる本人のことが好きやったら買ってしまうもん。買って、万が一面白くなかったとしても、「買った」という事実は変わらんもん。買ったということは市場が動いたってことで、つまり需要があるってことになってしまうもん。

悔しいよ。私は悔しい。市場を動かすほどの価値が無い自分が悔しいですよ。

Dopeydog│文字とイラスト

文筆業・本間 海鳴のホームページ。文字と絵と泣きべそをかいて暮らしている。

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