「残り0.5」が持つ安心感への絶対的な信頼【2021.4.16】

ペットボトルの中身とか、満タンが10やとして0.5くらい残ってる人おるやん? あれ私。

コップで飲んでもそうなんよね。絶対0.5だけ残ってる。「残ってる」ていうか、「残してる」。無意識に。よく色んな人に、何でそんだけ残すんってめっちゃ言われるけど、理由が上手く説明できん。分からんのよ、正直。

けど、一つ確かなのは、この0.5に「安心感」を見出してるってこと。

友達と飲むことになって居酒屋行って、なんか初手でビールとか頼むやん。ビールでも、0.5残す。ぬるいビールは不味いっていうけど、それでも残す。残したらね、ずっとそこに「飲み物がある」状態が続くのよ。

私は話が下手なうえに、毎日毎日おんなじことをずっと繰り返してるから面白エピソードトークなどない。友達も少ないから遊ばんし、恋人もおらんし「恋人になるかも?」っていう人もおらん。職場も愚痴るほどのもんじゃない。

結局飲み会で盛り上がるのって「恋バナ」か「人の悪口」か「失敗談」。やけど私、それがほぼない。だから、相槌を打ち続けるしかない。さながらマシーンのごとく。「うん」と「へ~」と「マジで」と「それヤバいな」を一定のリズム・確率で吐き出し続けるbot。相槌マシーンの燃料となるビールとかレモンサワーは、切らしたら終わり。飲み物を切らしたタイミングで、「あ、もしかして次のやついる?」って気の利く子が気付いてくれてしまったら、もうそこで注目浴びてしもて私のターンが回ってきてまうわけ。だから、延々と飲み物をちびちび飲んで「私今ちょっと飲んでるんで~。トークはそっちで回しといてもろて~」っていう雰囲気を醸し出し続ける。ふと誰かがこっちに話を振ろうとした瞬間、飲む。コップを持ち上げて飲む。じゃあ私がメインになることは一生ない。その、安心感たるや。

そこまでして飲み会行くなやって話かもしれんけど、一応数少ない友達をゼロにしたいわけじゃないからある程度行っとかんとあかんやん。だから行くよ、そりゃあ。

けど、安心感が欲しい。だからずっと飲み物を0.5キープし続ける。カラオケ行った時も、どんなに喉が枯れようと0.5をキープする。話と話の間で必ず起きてしまって回避できない「絶妙な間」を、「飲み物を飲む」っていう行動で埋めたいから。いつ何時「絶妙な間」が生じるか分からんから、ずっと安心感を持ったままでいたい。

……みたいなことやと思うんよね、無理やり理屈をつけるとしたら。正直、0.5残すことに関してはっきりした理由はないと思う。だって、誰かとおる時じゃなくても、家に一人でおる時でも残してるからね。なんなら、飲み物だけじゃなくてお菓子も0.5残すわ。じゃがりこ5本とか。普通に残してる。

インターネットで「ペットボトル ちょっと残す 心理」で検索してみたら、「その人は寂しがり屋です。飲み干して『終わり』が来ることに寂しさを感じるのでしょう」みたいなこと書いてあったわ。心が寂しがっとるらしいわ。なんや知らんけど。

0.5を残すことで心の隙間埋めようとしてるとか、虚しすぎんか? たかだか0.5の残量に重いもん背負わせすぎやろ、どう考えても。まあでもとにかく、「安心感」を求めてるみたいやから、なんかふわふわの毛布でも買うた方がええかもしれん。

Dopeydog│文字とイラスト

文筆業・本間 海鳴のホームページ。文字と絵と泣きべそをかいて暮らしている。

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