他人に頼って自分の評価を上げる危険性、分かっちゃいるんだが【2021.5.2】

昨日、もうどうにでもなれや! と思って殴り書いたエッセイが色んな方に見ていただけたらしく困っている。まさかお褒めいただいたり、共感していただけたりするとは。「どうにでもなれや」から始まったけど、やっぱ共感してもらえたら嬉しい。ありがとうございました。

人間として終わりに近付いてるもんで、完全に「終わってる」趣味がある。Wikipediaで「事件」って調べて、出てきた実在の事件を片っ端から読むっていう趣味。

「現実は小説より奇なり」って言葉の通りで、小説以上に想像できない方向に転がっていく物もある。未解決事件とか、猟奇的なやつとか、読んでたらだんだんこれがほんまに現実で起こったものなのか分からんようになってくる。よくない好奇心やと思う。品もなければモラルも無い。マジで「終わり」。けどやめられん。これもおそらく「ドーパミン」のせいやと思う。

そういう事件の記事を読むにあたって、どうしても知りたいことがある。

「殺人鬼」と呼ばれるようになってしまった人達は、一体どの時点から「殺人鬼」になったのか。これ。

生まれて間もない赤ちゃんが「殺人鬼」なはずはないやんか、普通に考えて。何も知らんまっさらな状態やねんから。じゃあ一体どっからその人たちは変わってしまったのか。

私は専門家じゃなくてただの好奇心でそういう記事を見ているだけのど素人やから間違っている可能性は大いにあるけど、突き詰めていったら結構単純な原因が多い気がする。

その中で一番多いのが、「挫折」やと思う。

順風満帆に、自分の思い通りの人生を歩めていた人が、ある日突然挫折する。上手くいってた自分の店が急に借金まみれになったり。秀才だった人が受験に落ちたり。はたまた、好きな人にフラれたり。細かな事情は違えど、単純化していくとそれは全部「挫折」に収束していく。

「挫折」は生きてりゃ絶対避けては通れない道で、今世界で生きてる何十億人っていう人達全員経験してる。じゃあ「挫折」しながらも立ち直れた人と立ち直れなかった人はどこで違いが出てくんねやろ。

多分、「挫折を他の人のせいにしてしまった人」は歯車が狂ってしまうんやと思う。

例えば、自分の事業が傾いたのは「客が悪い」とか。自分が受験に失敗したのは「親のせい」とか。こんなに愛したのに分かってくれなかった「恋人に責任がある」とか。

とにかく、もしかしたら自分に落ち度があるかもしれないことを無理くり他人のせいにしてしまった時点から、全部狂い始めるんやと思う。他人への怒りが積もりに積もったら、「あの人さえいなければ」っていう考えに落ち着き始める。それを行動に移した人達が、いわゆる「殺人鬼」になり得る。

なんで急にこんな話しだしたかって言うと、気をつけたいからなんよね、私自身が。

昨日の記事でも書いた通りほぼ毎日挫折を味わっている私、正直なところ一歩道を踏み間違えたら途端に「殺人鬼」になり得る可能性をめちゃくちゃ秘めてると思うのよ。「どうでもよくなった」とか、「誰でもよかった」とか言うてしまう人も、きっとどっかの時点では「どうでもよくなかった」はずなのよ。それが少しボタンを掛け間違えて、道を踏み外して、にっちもさっちもいかんようになって、もう自分の怒りとか憎しみとか好奇心とかそういうのを抑えきれなくなって、それで間違えてしまうわけで。

それって自分らも隣り合わせじゃね? って思う。人間って間違う生き物やからさ。理性があるとはいえ、良くも悪くも感情に振り回される生き物やからさ。

だから、「褒めてもらえない」とか「愛してもらえない」とか、他人に自分の評価を丸投げしてしまうのマジでよくないなって思ってんのよ。

たとえそう思ったとしても、その原因を絶対他人に押し付けたらあかんなって。それだけはマジで思ってる。「殺人鬼」にならなくとも、どこかで自分自身が正常な判断を下せなくなってしまったらガチで色んなとこに迷惑かけることになってしまうからね。そうならんためにも。

昨日散々、「自己の評価は全部他人に依存してる」的な話をした後やからあんま説得力無いかもしれんけど。個人的にこれだけは大事にしたい。

上手くいかない原因を、人のせいにだけはしない。せめて全部自分のせいにする。これ、私のネガティヴがすぎるモットー。

一番いいのは、自分のことを自分の中で正しく評価できることやけどね。それは今のところかなりハードル高いわ。

ただ、昨日長々と自分の中の感情を整理して発信したことでちょっと腹を決めたというか、決意できたというか、吹っ切れた感じはする。頑張る。

Dopeydog│文字とイラスト

文筆業・本間 海鳴のホームページ。文字と絵と泣きべそをかいて暮らしている。

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