面白い冗談だ。笑えないがな。【2020.12.20】
この程度の人間なのだ、私なんか。感情の起伏がエベレストより激しいので、何か起こる度に自己否定に走る。今日のエッセイはネガティブだぞ。付いて来れる人だけ付いてこい。
カウンセリングに行ってきた。何のって、歯列矯正の。最近の歯医者さんはすごいね。でけえ器具を馬鹿みたいに突っ込まれて必死に吐くのを耐えていたと思ったら、なんと私の歯の3Dスキャンデータを撮りましたって言うんだから。歯医者に行くのは六年ぶりで、この六年で世界が未来へ前進したことを感じざるを得なかった。これが貴方の歯ですって、漫画で出てくるおばあちゃんの入れ歯みたいなのを画面に写してぐるんぐるん色んな角度に回される。猛烈に恥ずかしかったよね、なんか。普段見ることも見せることも無い口の中をめちゃくちゃ見せつけられるし、肝心の歯並びはゴミみたいにぐちゃぐちゃだし。おまけに顔出してない親知らずが三本ありますねえって言われた。怖。
自分の顔面が嫌いな理由の一つは、明らかに歯並びも関係していた。一番目立つ前歯がゴミ。出っ歯の逆だと思ってもらえればいい。前歯が奥に引っ込んでやがる。故に私は写真で笑えない。嫌々撮った写真で一切笑っていないのはそのためだ。
何よりも怖いのは「不意打ち」の写真。笑うと見えるから気になると言いつつも、私は死ぬほどゲラなのでめちゃくちゃ笑ってしまう。勿論口は隠して笑う癖はつけているけど、ごく稀に不意打ちで横から写真を撮られることがある。ほんまにやめろ。誰もが思い出を残したいタイプやと思ったら大間違いだぞ。以前友達と遊んだ時に、超不意打ち写真をインスタに勝手にあげられていた。私なんか必死で顔作ってもブスなのに、不意打ち写真なんか見れたもんじゃない。その日から私はさらに写真が嫌いになった。いい加減にしろ。
まあ写真の話はいつか詳しく書くとして。
3Dで見る私の歯はそれはもう大変な散らかりようだった。分かってたけどびっくりした。こりゃあ治さんといかん。本気でそう思った。先生曰く、私の上顎と下顎はズレているらしい。なので歯と歯がきちんと噛み合っておらず、このままでは顎関節症まっしぐらだと言う。尚更治さんといかん。
「あの、先生」と。私は言うわけだ、ここで。「あの、先生。私の歯がとっ散らかっているのは分かりました」と。
「実際、こいつを人間の歯に戻すには、一体いくらかかるんですか」と。
先生は何でもない顔をして、そうですねぇ、なんて言うわけだ。そしたら一回見積もり出してみましょうか、と。うん、ええからはよ出してくれそれを。
出てきた見積もり書を見た途端、思わず噴き出してしまった。先生も釣られて笑う。何わろとんねん。
全部治したら、800000円。80万円。八十万円だそうだ。八十万円。中古の車が買えよる。めちゃくちゃええパソコンが買えよる。めちゃくちゃええホテルに泊まって高級な飯がたらふく食えよる。歯を、歯の並びをちょっと動かすために、そんだけの金がかかりよる。
勿論だけど、カウンセリングに行く前に歯列矯正の相場は調べていた。大体大人の矯正で七十万から百万。だからこの八十万円は妥当な値段だし、行く前には自分の貯金額も確認してあった。
ただ、自分の頭の中に「知識」として入れた八十万円と、計算され「現実」として提示された八十万円は重みがあまりに違いすぎた。見積もり書が目の前に現れてからこの文章を書くまで、私の脳みそはぎゅるんぎゅるん回転し続けた。大昔の分厚いパソコンでネットに接続した時みたいな音が耳から聞こえるくらい回転している。私の脳みそはHDD仕様らしい。
高校卒業して、三年。ブラック企業やと周りに言われ続けながらなんやかんや勤め続けて貯めた額、およそ八十万円。もし矯正しようと決めてしまったら、その時点で私の過去三年間が一瞬にして消える。三年間が、一瞬にして己の歯になるというのだ。
身震いしたのは、急に冬へ加速し始めた季節のせいだけではなかった。そのあとの説明はほとんど右から左へ抜けていき、か細い声で「一旦持ち帰ります」を言うのがやっとだった。帰宅してからもずっと、頭がフル回転していた。
八十万円。あったら何が出来るんだろう。自分でコツコツ貯めた大金。それは別にどう使おうが私の自由であって誰も文句は言わない。
だけれども、だ。だけれども。本当にそれでいいんだろうか。そんなにお金をかけるほど、写真に写りたいだろうか。これまでずっとカメラから逃げ、笑う時は口を隠すのを徹底してきたんだし、このままでいいんじゃないだろうか。これまで通りでいいんじゃないだろうか。そもそも、自分がいつまで生きるか分からないのにそこまでする必要があるんだろうか。もしかしたら矯正中にうっかり死んだりすることだってあるかもしれない。歯並びが治らないまま死んだとしたら、何も意味が無いんじゃないか。それならいっそ、金は使わず置いておけば、自分の葬式代くらいにはなるんじゃなかろうか。
ただ、いつまで生きるか分からないというのは逆の可能性も考えられる。これから先、もし寿命を全うしてしまうことがあるとしたら、残り約六十年くらいあることになる。これから先の六十年、笑う度に周りを気にしなきゃいけないんだろうか。ゲラのくせに。
変わりたいと思ってしまったのだ、私は。少しでも変わりたいと思った。少しでも変わったら良い方向に転がっていくんじゃないかと、すぐゼロか百で物事を考えてしまう癖は私の短所だ。だけど、結局人生そんな上手くいかない。多少の変化は多少の変化であって、それ以上のことを引き起こしてくれるわけではない。
たかだか歯の並びが変わっても、ブスはブスだしデブはデブである。きっと際限なく気に食わない箇所は出てくるだろう。というか今ですら治したいところは数えきれない。これを全部治すとなったら、一体生涯でいくら稼がなきゃいけないんだろう。
そう思ったら情けなくなってきた。一応私は、真面目に堅実に生きてきたつもりだ。二十数年、一生懸命人に優しくしてきたつもりだ。何も悪いことしてないのに、どうしてこんな思いをしなくてはいけないんだろう。何も悪いことしてないのに、どうしてそれだけのお金を払わないと変われないんだろう。こんなのってあるかい。生きてるだけで罰金払わされてるようなもんじゃないか。
歯のことだけじゃない。肌を綺麗にしたかったらそれなりの金がいる。メイクでブスを誤魔化そうと思ったら、それなりの道具を揃える金がいる。髪のケアにも金がいって、ダイエットするにも金がいる。「可愛くなりたい」、ただそれだけの話なのに、莫大な時間と金と労力がいる。仕方ないことだとは思う。仕方ないことだし、それに金と時間をかけるもかけないも本人の勝手なんだからと言われたらそれまでだけど。だけどよ。こんな努力をしなくとも可愛い子はごまんといるわけで。私がまさに今うだうだと、やれ金がとかやれ顔面がとかほざいてパソコンに向かっているこの瞬間にも、ナチュラルメイクで好きな服を着られる女の子だっているわけだ。八十万円かけなくても、元々整った歯列を持って生まれてきた子だっているわけだ。さらに言えば、たとえ整った歯列を持っていなくとも、そんなことを気にせず普通に楽しく生きていける子だっているわけだ。
かたや私はどこをどう治せば人間に戻れるのか、そればかり勝手に考えて勝手にネガティブになる。誰も見ていないし誰も興味無いと分かっているのに、カメラから大袈裟に逃げまくる。ただ笑うってだけなのに、ふと自分のブス顔がよぎって笑うことを躊躇う。
理不尽な世の中だ。世界は不公平だ。つまり私は、その程度の人間ということなんだろう。もっと大きなことが出来るであろう大金を、己の口内で完結するような小さなことに使うか悩んだ挙句、結局使う勇気もない。ああ最悪だ。もう何から手をつけたらいいのか、これっぽっちも分からない。
歯列矯正はひとまず、セカンドオピニオンを受ける予定。今すぐやりたかったからカウンセリングに行ったのに、なんかもう今すぐやらなくてもいいやになってしまった。ひとまずは、「死ぬまでにやることリスト」みたいなやつに追加するだけしておこう。
ただ少しだけでいいから、楽に笑えるようになりたい。私が人間になれるのは、もう少し先のようである。
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